シュリちゃん熊本へお墓参り: あれから23年…娘の成長… 14 - 2013.09.02 Mon

昨日の日記の続きのね、
シュリちゃんが仏壇探した後の、台所戻るまでの ↑ 途中のシーンです (*^_^*)
私、基本的に 「冬はこたつ」 がいい派

しかもほらほら見て下さいこの 見事
私はこれが大好きでしたね~


シュリちゃんが ↑ 言うてる 「この部屋の~」 はまた後で

仏壇にも手を合わせて、
この日 (8/16)の朝は おかんと一緒に
クソこ汚ねぇ この台所で
↓ ↓ ↓ ^m^

どーーやったらこげん汚か台所に ↑ なっとですかねぇったく~~ (;一_一)
でも、これが田舎の家の台所なんですよね、沢山味わっとこ~と思いました


数年前に膝を痛めて手術したおかん…
コロコロもこんな長いの使ってた


出来る限り長いことずっとオヤジと一緒に元気でおって


あああ

面白いのって、
↓ ↓ ↓ !(^^)!

昨日のじぃちゃんばぁちゃんの肖像画は仏壇の間に飾られてたけど、
私らがあげた ↑ オヤジとおかんの 似顔絵フレームは、

いつも見れるリビングに、ちゃんと飾ってくれていた (*^_^*)
結婚式の時にプレゼントしようと、色んなサイトで探して頼んだこの似顔絵、
大満足の出来で、私もこれと同じの欲しかったくらいでした


直筆でメッセージ書くから下の方ちょっと空けてて下さい ってお願いした
本当にずっと めっちゃウルサイって思ってました おかんのこと
でも今は
本当に心の底から 伝えきれんくらいに 「ありがとう」 って思ってます

ホンマに味付けだけは ↑ しにきやがった (;一_一) アタシでも出来るわいっ


おかんドツイて 財布から金ぶん取ってってたりしてた
夜中抜け出してオトコんとこばっか行ってて
とうとう オヤジは 娘の私に 鉄パイプを 振り下ろした
高3の夏休み、
当時の彼氏と関西への移住の為に 滋賀へと、
「数日間関西へ出向きます」 だけの書置きして帰らなかった
置いてったはずのメモが風で飛び、
親は警察に捜索願を出すところだった…
そこへひょっこり帰って来た私に、
見たこともない鬼の様な顔を一瞬見せたオヤジ、
そしてすぐに 優しい笑顔をし、
「どがんだったや関西は! ええ仕事はありそうか (*^_^*) 」
もういっそ打ち殺したかっただろう娘の散々なこの有様を
娘の私には大きすぎるこんな器と笑顔で迎えた オヤジに
もう出来る限り
恥ずかしくない様に 生きてゆこう
この時ほど そう思ったことはなかった…
あれから 23年後……
荒くれて好き放題していた
あのクソガキだった頃から 23年後…

オヤジ、 おかん
産んでくれて ありがとう
育ててくれて
ありがとう
いっぱいいっぱい ごめん 好き勝手してごめん
とにかく謝る ごめんごめんごめんごめん (>_<)
二人の 娘で よかった
凄く 凄く よかった
心の底からそう思える 「今」 を
陽子は誇りに思っています
いつもより、自分のことが好きになったりした時は
遠い昔に親が出会い恋をして、そして私達がこの世に誕生したことに
感謝しよう
親を想う 家族を想う 取り巻く全てを大事に想う
我がの人生の原点はここにあり… 親にあり…

とてもいい写真を旦那が撮影してくれました
旦那にもアリガトウを 心をこめて… アリガトウ…

そしてこの日記を読んで下さっている皆さんへも ありがとう



↓の3つのサイトで何位か見れますので良かったら見て来て下さい




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ご理解頂けて本当に有り難かったし嬉しかったです、ありがとうございますnaonaoさん

naonaoお母さんのことをこう思う日が来るのが少しでも早かったらいいですね、私は早くして自立した分そう思う
のが早かったから有り難かったです、、が、近くに居てあげていない事が何よりも我が人生の後悔すべき所となり
ました…


喜んでます

ちゃんとばーちゃんが大好きでした(^-^) なんでも買ってくれたしお菓子もいっぱい用意してくれてお小遣いも
沢山沢山くれました、小学校から帰って来たら自分ち帰らずまずじーちゃんばーちゃんちに寄ってからでした

肖像画を見たのは確かこの時が初めてですが思わずじーちゃんばーちゃんた~~いって叫びました

帰る度に我が家を見る目や感覚に価値観が変わってゆきます…それは多分自分が大人になってってるとゆーか
老いて来て感覚変わって来てるんでしょうね

んなに仲良くも親を想う気持ちも芽生えなかったとハッキリ言えるので、そう思うとこんだけの条件が整わないと
親に感謝出来ない私は未熟だったんだなぁってつくづく自分を責めてしまいますね…大事にせんといかんですばい
ねぇ(*^_^*) ※日記、思う様に綴らせて下さってありがとうです珠さん、感謝しています



思ってたのにハゲまではせんかったから良かったー言うてます


亡くなった時は新聞に載ってました、なんか市議会議員じゃないけど分からんけどそんなんもしてたらしくてまだ
子供だった私には分からんかったけど、紙芝居を手作りして保育園にお話しに回ったりもしてて、よくその紙芝居
を一緒に作ってました

大好きだったじーちゃんばーちゃんとももう18で別れたからもう後悔しても仕方ないのに沢山の愛を受けて育った
のに私は本当に自分の好きな様にしか生きてこんかったから家族の愛を踏みにじった気持ちでいっぱいです、歳
を追うごとにその気持ちが強くなります… 私は感情の起伏が激しかった分少し落ち着く必要があったけど旦那の
家族は真逆の全く感情を持たない家で、父親の葬儀の時に旦那の弟が片隅でゲームしてたの見て驚愕しました
うちはウルサイ家庭だったけど、この家で育てられて良かったって心の底から想いました

ますがみょんくるママさん達が温かいコメントを下さるから書けていられるんだなとも強く思います、アリガトウみょ
んくるママさん本当にありがとうございます

綴られるとイイですね
